2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ヘイトスピーチと 0830再稼働反対★国会前大集会と歴史修正主義

写真は8月30日(土)の日経朝刊社会面の記事です。 国連からクレームと言えば、8月24日のブログで国連の人種差別撤廃委員会から沖縄の米軍基地に関する政策をめぐって、名護市辺野古の基地建設では「地元の同意を得ること」とか「政策に地元住民を参加させるこ…

「花子とアン」から「村岡花子と柳原白蓮」

NHKの朝の連続ドラマは残りあと9月一か月を残すのみ。「ごちそうさん」に次いで、明治・大正・昭和を生き抜いた女たち、男たちを描いた今回のドラマ、夫も珍しく毎日見て、テーマソングが鼻歌で出てくるまでになっています。 そこで、「花子とアン」の村岡花…

ゴミは東電へ返そう(指定廃棄物最終処分場問題について小出氏)

宮城県女川町で開かれた8月10日の集いで、京大の小出裕章氏が「放射性指定廃棄物最終処分場建設に反対する宮城県加美町­のみなさんへ」というメッセージを寄せられたと、8月25日の「みんな楽しくHappy♡がいい♪2011年3月11日。その後私は変わりました。」さん…

瀬田の唐橋

月曜日の午後、先週から約束していた大津の義兄のお見舞いのため義姉の家に向かいました。 3時のおやつは持っていくのでと連絡してありましたので和菓子屋さんに寄ってから名神で瀬田西へ、そこから名神を降りてしばらく走って3時過ぎ到着。お茶とお菓子で義…

「兄はスパイじゃない」(北大生『軍機法』冤罪事件)3

「軍機保護法」では軍事上の秘密は範囲が細かく定められておらず、「陸軍大臣、又ハ海軍大臣ハ軍事上ノ秘密保護ノ為必要アルトキハ命令ヲ以テ決メル」とあります。 そこで判決では、どんなに一般的に知られていることでも国が秘密であると言えば「秘密ニ属ス…

「兄はスパイじゃない」(北大生『軍機法』冤罪事件)2

逮捕され拘置所に囚われていた宮澤さんに対して取り調べは容赦ありませんでした。スパイ容疑を断固として否認し続けた宮澤さん、逆さづりや竹刀でたたかれるなどの拷問があったと後に担当弁護士が証言している。 家族は宮澤さんと面会することさえ許されなか…

「兄はスパイじゃない」(北大生『軍機法』冤罪事件)1

◎昨年12月山の雑誌に載っていた記事から「スパイ冤罪事件と秘密保護法」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20131217/1387236013)という記事を書きました。 北海道大学の学生が戦時中の法律で逮捕、戦後すぐ、それがもとで亡くなった宮澤弘幸という方を取り上…

ご近所の水害

日曜日、午後から降り出した雨が4時ごろから強くなり出して、そのまま降り続きました。これは尋常ではない降り方だと思っていたら、テレビで隣町の池田や宝塚に避難準備の警告が出ました。夜になって、夕食を摂り「官兵衛」が終わる直前携帯が鳴り、エリアメ…

エバシャムと「NHK{89:1}」と「国連委員会から沖縄民意尊重と指摘」

先日、神奈川のXさんから古稀のお祝いメッセージのカードと共に近況を知らせるお手紙を頂きました。私の50代、初めての海外旅行を二人で考えて実行した年下のミーハークラシック音楽ファン仲間です。お孫さんのお世話で忙しくされていたのが、娘さん一家が、…

東京と大阪の金曜デモと特定秘密保護法のパブコメ締切直前

◎昨夜は10時過ぎには就寝、夜中雨風の音で飛び起きました。サンルームの窓を全開にしていました。雨で濡れてもいいようなものしか置いていないのですが、猛烈な吹き降りですので、階下に降りて一つ一つすだれを片付けながらガラス窓を降ろすことに。広島で降…

「知られざる衝撃波〜長崎原爆・マッハステムの脅威〜」

◎プロローグとして: アメリカのミシガン州出身のアーサー・ビナード氏が2年前の千葉県母親大会で講演をしておられます。その中で広島長崎の原爆投下について触れています。「ほのぼの日記」のmiyotyaさんが昨日のコメントで教えてくださいました。まず引用…

集団的自衛権と民主主義について(岡田武史元サッカー日本代表監督)

(今朝二つ目の記事です) 昨日のブログの「集団的自衛権」のコメント欄で、「阿寒・森のつぶやき」のnumapyさんが地元の新聞記事から紹介してくださっています。 道新のシリーズ証言「安倍政権と安保政策」で「内田樹」氏が嘆いてます。 「民主主義を否定す…

「思い出のマーニー」(映画)とカマキリ

月曜日、午後、夫がかねてから行きたいと言っていたジブリの映画を見に、暑いので車を出しました。「今日は母の俳句の日で千里へ出かけているので、父が一人なんだけどな〜」と、車に乗り込んで発進してから私が。夫がしばらくして「じゃ〜やめとこ」と最初…

「集団的自衛権」はアメリカの戦争の下働き

「内田樹の研究室」、8月15日のブログは「終戦記念日に」というタイトルで集団的自衛権についてでした。 「焼き場に立つ少年」の写真を見て戦争の話になり母が「讀賣だけ読んでいてはアカンね」といった日は丁度8月15日でした。隣に戻った母は気になって社説…

コスプレ会場の靖国参拝と沖縄と凍らない凍土壁と「アナ雪」人気

◎「東久留米日記」さんの終戦記念日という敗戦の日の8月15日のブログは「靖国がコスプレ会場に−ラジオでも靖国神社の回りがひどいことになってると言っていたが……酷すぎる」(http://d.hatena.ne.jp/higasi-kurumeda/20140815/1408093979)です。ここで紹介…

「1枚の写真」

8月16日のブログ、「なぜ解かれた?封印の『焼き場に立つ少年』」にコメントでお知らせいただいたブログをお訪ねしました。 青木新門さん、聞いたことあると思ったら「おくりびと」の原作「納棺夫日記」の方でした。おかげさまでNHKスペシャル「解かれた封印…

「加害と被害の戦争」の記憶について

◎昨日のブログのお隣日記に紹介されていた「ニュースワーカー」さんというブログで8月14日の大阪大空襲を取り上げておられました。 関西ローカルニュースでは敗戦の日の前日のこの大空襲は毎年のように放送されます。たった1日のことで死ななければならなか…

なぜ解かれた?封印の「焼き場に立つ少年」

14日に取り上げた「焼き場に立つ少年」のコメント欄に「『ウインザー通信』さんが、この写真を撮ったジョー・オダネル氏のことを紹介してくれています。よろしければどうぞ。」というコメントを頂きました。「ウインザー通信」さんというのは、「アメリカ東…

「焼き場に立つ少年」”

昨日は買い物に出たついでにお団子を買ってきました。 3時少し前、母が「お父さんがやりたいものがあるから来てほしいんだって」と声をかけてくれました。 何だろうと思いながら隣の応接間に行くと、コインコレクションの箱です。父がコインのコレクションを…

「焼き場に立つ少年」

明日は8月15日の敗戦の日です。戦争を表す写真といえば私はこの写真を思い出します。以前にブログでも取り上げた写真でした。12日の「生き生き箕面通信」さんがその写真と、写真を撮ったカメラマンがその時の少年を描写した文章を掲載されています。 おはよ…

盛夏の庭の花

カーテンの洗濯は結局1日待って今朝することに。久しぶりの夏の日差しに息子のいない部屋のカーテン、午前中にすっかり乾いてしまいました。 たった1日のことですが、ベラドンナリリー(アフリカ浜木綿)のツボミがほころびだしました。ピンクの花がのぞきだ…

雨上がりの庭

昨日は日差しが戻って、今日もそのまま晴天が続くかと思って、夕方、二重のカーテンを外しました。 洗濯機にかけて脱水してそのまま元へ戻してつるしたまま乾燥させるつもりなので、今のような曇り日ではちょっと困ります。それで、庭へ出てみました。 昨夜…

「いとし子よ」永井隆

土曜日、NHK「思い出のメロディー」、司会の仲間由紀恵さんが藤山一郎が歌った「長崎の鐘」を紹介するのに、長崎を訪ね歩く映像が流れました。その中で永井隆さんが紹介されました。被爆して6年後に二人の子供を残して亡くなった永井さんの著書「長崎の鐘」…

東京と大阪の金曜デモと長崎原爆忌

今日近畿地方は台風が通過します。昨日から雨や風が強くなり始めていました。高知のSさんに先週初め、頓珍漢な暑中見舞を出したところであわてて大雨見舞いのお電話を留守電に入れたら、その日の夕方お電話があって無事とのこと。しばらく近況報告をしあった…

丸山真男「民主主義を求めて」余話・「他者感覚」と「21世紀の君たちへ」

◎「Various Topics」さんのブログでこの丸山真男の再放送と第4回の放送を知り、録画し、先に司馬遼太郎の回を見ました。このお二人ちょっとした共通点があります。亡くなられた年が、司馬さんは1996年の2月12日、今は「菜の花忌」になっています。丸山真男さ…

丸山真男「民主主義を求めて」(7)エンドレス革命と後継者たち

政治学者・石田雄さん「永久革命としての民主主義は一人一人が主権者として発言できる、ということが民主主義なんだと。 その一人一人が発言できるためには、お互い理解し合わなきゃいけない、対話がなきゃいけない。対話が成立するためには不利な人の立場も…

丸山真男「民主主義を求めて」(6)「永久革命としての民主主義」

昭和46年(1971年)東大を退官した後も丸山の思想活動は衰えなかった。退官翌年(1972年)に発表したのが「歴史意識の『古層』」。日本人の意識の底に独特の思考様式がある。それが繰り返し現われる。それを「古層」と名付けて明らかにしようとする。さらに…

丸山真男「民主主義を求めて」(5)東大紛争そして退官

昭和43年(1968年)国民総所得が世界第2位になり、日本は世界の先進国の一員となっていた。戦後生まれのベビーブーム世代は過酷な受験戦争にさらされていた。大学では大人数のマスプロ授業が一般化していた。 その頃丸山の長男彰さんは日本大学に通っていた…

丸山真男「民主主義を求めて」(4)住民運動とパートタイム政治参加と被爆体験

昭和30年代後半、高度経済成長の裏でその歪みが生じていた。三重県四日市で石油化学コンビナートによる大気汚染が問題となるなど各地で公害が深刻化した。 敗戦直後、庶民大学をつくり丸山を講師として招いた静岡県三島市。 昭和38年、この町に石油化学コン…

丸山真男「民主主義を求めて」(3)「永久革命」と「”虚妄”に賭ける」

昭和25年(1950年)朝、朝鮮戦争勃発。アメリカは日本を反共の防波堤と位置付ける。警察予備隊が誕生。再軍備が始まる。冷戦の結果は日本の針路を大きく変えようとしていた。 丸山(テープの声)「僕らの実感としては、なんと短い春だったという気持ちですね…